手すり

おれブログかく。

 その昔、実家にいた猫は、おすのアメリカンショートヘアー風の雑種でした。彼がほかの猫と大きく違うのは、首が曲がっていることでした。正面から見ると右に、首を傾げていました。

 おそらく生まれたころからそうなのでしょう、彼はそれが自然であるかのように首を傾げたまま食事を取り、眠り、庭木の匂いをかいでいました。

 そうしたハンディキャップを克服する手段かどうか分かりませんが、彼はとてもフレンドリーな性格の持ち主でした。餌をくれる母親は言うに及ばず、一緒に暮らすほかの猫、犬、父を尋ねてくる客人にまで、彼は愛想よく振舞いました。その馴れ馴れしさに、猫と犬は寝床を譲るほどで、客人たちはみな、彼の名前を覚え、再訪した時に挨拶をしたほどです。

 彼には首が曲がっていることのほかに、もう一つ、わずらっているものがありました。彼の目は目ヤニがひどく、いつも左目が右目に比べて小さく開いているのでした。

 私の両親は子育てをすでに終えていて、犬と猫とを子供のように可愛がるようになっていました。両親は彼の目を心配しました。しかし、近所の病院に連れて行っても、田舎の病院に手の負えるものではなく、両親は白いセリカに彼を乗せて、東京郊外の大学病院まで彼を連れて行きました。

 幾度かの診察の結果、彼の目が手術によって良くなるということが分かりました。そして両親は迷わず、彼に手術を受けさせました。

 術後の経過は良好で、両親が心配するぐらいに彼はそれまでどおりマイペースな生活を続けました。みんなの分の食事を食べ、犬の寝床で休んで。

 術後の診察もすべて終了し、東京への通いがなくなったころ、彼はぷっつりといなくなりました。

 両親は特別に探すことはしませんでした。犬と猫は彼が来る以前の生活に戻りました。彼を知る客人ははいなくなった事に一応の残念さを両親に告げました。

 今、やっと思い出しました。彼の名前は「ドン」という名前でした。ボスだとか、そういう「ドン」ではなくて、いつも愛想よく、それでいて態度が大きいので、「鈍感」の「鈍」だと、父親がつけた名前です。

 ドンは目が良くなったことで何か、気持ちが変わったのかもしれません。曲がった首と、良くなった目で、どこか新しい場所へ行ったのだと思います。いろいろ思案したところで、猫の気まぐれに人間の考えが至ることないでしょう。

 いやな想像をすれば、いくらでも彼の身を案じることができます。しかしそうではなく、ある猫がある日やってきて、そしていなくなったのだと私の家族はみな、そう考えています。

 そう考えることが、猫と私たちの関係を良好にすることを、何匹もの猫を飼って知ったからです。