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今日の日記は多少繊細な問題を扱っています。以下の単語に造詣の深い人は読まないほうがいいかもしれません。
- オタク
- 村上隆
で、つれづれなるままに、オタクについて考えてみました。
いつも私がオタクに対して感じてる違和感は、誰も自分がオタクであることを認めないなあ、ということです。
オタクが喜ぶようなイベント、プロダクトが世に出ると、いろいろなサイトで取り上げられ、消費されていきます。しかし、こうしたイベント、プロダクトに対する態度は決まって、
「みんなが騒いでいる××を買ってみました。」
というスタンスです。なぜか、一歩引いてる。
まるで自分はオタクでなくて、みんなが好きだから書くよ。とでも言いたそうです。
さらに、わたしがオタクだと思ってる人にオタクかどうかを尋ねると、「みんなオタクだよ」とか、「オタクの定義って、何?」という言葉が返ってきます。
なんで、難しい方向に持っていくのか、さっぱり分かりません。
どんなに「もえたん」を買おうと、「わたしのおにいちゃん」を買おうと、自分が好きなわけではなくて、まわりで話題になってるからというスタンスを崩しません。
なぜにオタク(と私が勝手に思う人々)がそういう態度になるかというと、やはり自分自身がオタクと思われることを疎むからだと思うのです。
オタクなのだが、そう思われると肩身が狭い。結果、生まれる妥協案が「オタクワールドに興味がある」となるのではないでしょうか。
もっと、自分がオタクであることを積極的に肯定したらいいのに。と、思うわけです。
そのほうが、面白くないですかね。
積極的なオタクの具体例が村上隆さん(ごく簡単な作品紹介はこちら)で、オタクであることをアート*1にした人だと思うのです。
ロクロク星人のぬいぐるみが完売したりするのを見て、多分村上さんはほくそ笑んでいるのではないでしょうか。
こういう人が増えたら、もっと面白いのに。
「みんなが好きな」というのでなく、「わたしが好きな」という立場で、本気でやったほうが、コミュニティ自体も前進すると思います。
そんな本気なオタクサイト、応援はします。
※参考書籍、資料、サイト、よいものご存知でしたら、ご紹介ください。
*1:ここでアートと言ってるのは、自分自身のパーソナリティを表す表現をガチンコで行うこと、と、させてください。